【映画】南海の孤島 鳥島 1956年(昭和31年)頃制作
HTML-код
- Опубликовано: 9 фев 2025
- ナレーター 平塚 和夫
制作・撮影 宮﨑 甲介
(映画の解説 映画の字幕より引用)
日本最南端の孤島で大自然を相手に日夜敢斗を続けている台風観測の前線基地、鳥島気象観測所
遠く在島所員諸氏の健康を祈りつつ茲に島の生活を紹介する
この映画は、気象庁離島課及び鳥島出張職員諸氏のご協力により完成したものであります
公益社団法人 日本気象学会の記事「地方だよリ 鳥島測候所」によると、「鳥島測候所」と記されており、のちに気象観測所となったようです(年代不明)。
www.metsoc.jp/...
鳥島測候所は1947年(昭和22年)に開設され、1965年(昭和40年)に火山性群発地震の発生により閉鎖されました。 Видеоклипы
こんなところに江戸時代には何度も漂着した漁師たちがいて、中には12年も過ごした人までいたなんて。映画化もされた吉村 昭の『漂流』で知りました。
すごい。。。本当に本当に貴重な映像。ありがとうございます!としか言えない
昭和31年、私の産まれた年です、後に山岳部に入り夕方4時からの気象通報で聴いた鳥島がこれなんですね、本当に貴重な映像ありがたや、色々な動画が混在するYou Tubeで宝物に巡り逢ったような気持ちです。
貴重な映像をありがとうございます。
鳥島測候所は、火山活動が活発になり危険とのことで閉鎖されたと思います。
子供のころ、測候所閉鎖のニュースを聞いた記憶があります。
小学生時代の昭和30年代後半、テレビ、ラジオ放送や台風情報で鳥島の名前が必ず出てきました。自分は半年間の任務なんてとても耐えられません。😂
そうか、当時は小笠原返還前だからまさに日本の最果てだったんだな…
吉村昭の「漂流」や新田次郎の「火の島」の舞台だけど、こうしてみると「ここに漂着出来た」ってだけで奇跡的な事だよね。
周りが余りにも断崖過ぎる。
新田次郎の「孤島」を彷彿します。しかし半年交替とは結構キツイ勤務ですね。
この様な、古い映像記録が残っていた事に、感動しました。当時の観測活動や、暮らしぶりも、興味深いです。
現在は島の西側に、1965年の火山活動による群発地震で閉鎖された気象庁鳥島気象観測所の建物跡が残っており、山階鳥類研究所が島に滞在する調査員の宿泊所として、地震計記録室だった建物を利用している。(ウィキペディアより)
凌風丸、新田次郎の小説「火の島」にも出ていたな。まさに小説「孤島」「火の島」の世界。
し尿のゆくえと年代もBGMも同じような感じですね…
地熱の岩場で地下足袋を履いていたのですか。明るいBGMが流れる中、二名殉職したとさらりと言ってます。また、放し飼いのヤギが所員達のタンパク補給に大きな役割を果たしているとか、過酷な仕事だったことがうかがわれます。
こうした貴重な記録映像は、今も撮られているのかな。ネット上のアーカイブ化して、誰でも見られるとありがたいです。
貴重な映像ありがとうございますm(_ _)m
昭和レトロが好きでよく古い動画を見る
のが日課なので嬉しいです!
テレビが無い頃でした。
ナレーション、後ろの音楽 素敵❤ 癒してくれて ありがとう。
実に感動的な記録です。UP頂き、ありがとうございます。
ジョン万次郎が5か月生き抜いた島ですね。
なんで1956年で日本に返還されてるんだろう?と思いましたが、小笠原より近かったんですね
広島気象台を舞台にした柳田邦男さんの空白の天気図にも鳥島の名が出ていたが確か、火山活動の激化で無人島になったと思います。今では貴重な記録になっていますね。
救命胴衣がまだカポックだったんだね。
ご苦労様ですと言いたくなる感じ。アマチュア無線やってるので通信機器が興味深かった。カラー映像混じってて驚いた。ふんどしで泳いでたり柳行李で輸送してたり時代感じますね。最南端に??となったけど小笠原返還前で種子島屋久島も孤島は微妙だからまあいいか。
長平が流された島!!!
日本の人口が増えている頃はこんなところにも行っていたのだなあ。
食事が二合飯!
いやいや殉職二名って軽くおっしゃいますが頭さがるおもいです
字幕、意味ないね。